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<民医連・医療生協ランナー、スポーツ連盟ランナーとして>
                    
                   秋ケ瀬マラソンスタート       

 埼玉では、新日本スポーツ連盟(以前の新日本体育連盟=新体連)のランニングクラブとして「埼玉明るく走る会」が民医連職員も参加して結成され、練習会、研修会などを行いながら、秋ケ瀬マラソン大会(1980〜2003)の開催をしてきました。

    
     
              明るく走る会と協同ジョギングクラブ(秋ケ瀬マラソンの運営)

 まもなく「埼玉協同病院ジョギングクラブ(当初:木曽呂ジョギングクラブ)」が結成され、秋ケ瀬マラソンの開催にも、多くの民医連職員が参加し、積極的な役割をはたしてきました。

 スポーツ連盟の「スポーツ、君が主人公」「スポーツは平和とともに」や、医療生協の「一人は万人のために、万人は一人のために」「平和とよりよい生活のために」、民医連の「力をあわせて働くひとびとの生命と健康を守る」などの理念は、私たちランナーにとって大事な共通した考えです。

    
    
         第1回大会スタート                   第2回大会アンカー(埼玉)

 全国の民医連職員のランニングの交流の場として、共済組合として「全日本民医連共済組合駅伝大会」が2年おきに開催され、埼玉からも積極的に参加しており、第1回大会(1988)の実行委員長は埼玉の職員でした。第1〜4回は、埼玉から2チーム12〜14名が参加し、第6〜9回(2004)は、1チーム7〜8名の参加となっています。

  

          第2回大会(兵庫)の14名                       第9回大会(福岡)の7名

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